2.両家両親への挨拶




頬をなでる風が少し冷たく感じる10月。
入社して半年以上たったあかねは、徐々に増えてきた仕事を抱えて毎日残業続きの日々を送っていた。

「んもう。あんなにたくさんの書類、1日でチェックできるわけないじゃない」

誰に言うでもなく一人でつぶやきつつ、あかねは駅から自宅までの道のりを一人歩いている。
今日も今日とて、定時の18時を大幅にオーバーした21時に仕事が終了。
そこから電車で30分かけて、ようやく地元の町に戻ってきた。

…やだなぁ。この道って痴漢とかでるんだよね。

あかね程度の腕なら痴漢ぐらい軽く撃退できそうだが、やはり年頃の娘としては会いたくないのが本音だ。
しかも、高校生の頃とは違い、OLをしているあかねはヒールのある靴にタイトスカートのスーツだ。
何かあったときに動きにくいことは間違いない。

少し小走りになりつつ家路を急いでいたあかねは、目の前を見慣れた後姿が歩いていることに気づく。
青いチャイナ服に揺れるお下げ。
肩から重たそうなカバンを提げているその姿は間違いない。
同居八年目で、先月めでたくプロポーズをしてくれた「親同士が決めた許婚」だ。
いや、プロポーズしてくれたのだから「親同士が決めた」という言葉は外していいだろう。

「乱馬―っ!」
「んあ?おー…あかねじゃねーか。今帰りかよ?」

息を切らしながら乱馬の右側に駆け寄ると、重そうな荷物を左手に持ち替えて乱馬はあかねの顔を覗き込む。

「おめー…息切れてんぞ?だらしねぇなぁ」
「なっ…なによぉっ。靴がヒールだから走りにくいのよっ!…で、乱馬は出稽古?」
「おお。三丁目の道場にな」

ついつい残って相手してやってたらこんな時間だぜ、腹減ったなぁ…。
などといいながら、乱馬は自分の腹を左手で押さえる。

「そっかー。結構順調なんだねーっ」
「へ?当然だろ?」

大学四年生の夏。乱馬が就職はしないと言い出したとき、あかねは一瞬不安になったものだ。
まぁ、完全格闘バカな許婚が一般企業に就職するとは思っていなかったが。
だが、卒業後すぐに天道道場を継ぐわけはないだろうし、もしかしてまた修行の旅に出るのかと思ったのだが…。
乱馬は自分の格闘センスを活かした仕事を見つけてきていた。
それが、近所の道場に出向く出稽古だ。
これが思いのほか好評らしく、最近ではすっかり引く手あまたとなってしまっている。

「あかねこそ、また今日も残業か?」
「そう。ほんと、人使い荒い会社なのよねーっ」

そこで一旦お互い言葉を切る。
というか…プロポーズからこっち、この2人が2人っきりで会ったのはこの場が初めてなのだ。
自宅では当然のことながら、どこで誰が聞き耳を立てているかわからない。
しかも、以前と違って一歩外に出たらお互いそれぞれの生活があって、なかなか2人っきりで話す機会もなかった。
その結果、プロポーズ以降まったく話は進んでいないのだ。

「あ…あのっ!」
「な…なぁっ!」

お互い、相手の様子を見つつ切り出した言葉が見事にかぶる。
こんなところまで2人の息はぴったりだ。

「なっ…なんだよあかね」
「乱馬こそ、何よっ。先に言いなさいよね」
「なっ…なんでもねぇよっ!おめーから言えよっ」
「あーっ!!こういうことは男から切り出すものでしょーっ?!」
「てっ…てめぇっ!プロポーズだけじゃ飽き足らず、ここでもオレに言わせる気かよっ!」
「別にそんなたいしたことじゃないんだから、さっさと言いなさいよねっ!!」

気がつけば、夜の路上で2人は顔を突き合わせて口げんかとなっている。
このままではいけない、と思った乱馬は、小さくため息をついて、ごにょごにょと話を切り出す。

「…あのよー。そのっ…。ほら…おやじたちに…よ」
「…そ、そうなのよねー」

乱馬のその言葉を受けて、あかねもはぁ…と小さくため息をつく。
お互いに結婚の意志が確認できたら、次は両家両親への挨拶である。
普通の結婚の場合、男にとって最初で最大の難関といえるであろう。

…ただし、この2人の場合、世間とはまた別の意味での難関なのだが。

「お父さんたちに話したら最後、絶対に結婚話だけが一人歩きするわよねー」
「まぁ、全ての段取りを無視してすぐにでも祝言、だろうな」

高校時代に何度も体験した両家の父親の行き過ぎた演出を思い出して、2人ははぁぁと肩を落とす。
お互い結婚の意志は固まっているのだが、やはり、自分たちで行動を起こすのと、他人にせっつかれてするとでは全然気持ちの入り方が違う。
しかも、今回は一生に一度の結婚式なのだ。

…あかねの思うようにさしてやりてーしな。

口元に手を持ってきてなにやら考え込んでいる許婚を見ながら、乱馬は一人こそっと思う。
先日のだいすけたちの結婚式の帰り道での会話から考えても、あかねはあかねなりに結婚式に対して夢があるのだろう。
やっぱり男と違って、女の子はそういうものに対して多大な夢とやらを抱いているのだろうし。

「…よっし。わかった。オレがなんとか話つけてやるぜっ」
「え?ホント?!…大丈夫なのー?乱馬」
「おめーは…ほんっとに昔っからこういうときのオレを信用しねぇよな」
「だってぇ。乱馬がこういう恋愛がらみの話をちゃんと片付けてくれたことってないじゃない」
「げっ…」

…痛いところをついてきやがる。

思いっきり胸を張って威張った乱馬は、あかねのそのセリフにぐぐっと言葉を詰まらす。
確かに、高校時代散々言い寄ってくる3人娘に対して常にあいまいな態度を示し続けてきただけに、そこをつかれると痛い。

「だっ…大丈夫でぃっ!任せとけってっ」
「…んじゃ、任せた…けど」

くれぐれも、お父さんたちを熱くさせないでね。
あかねは気にかかっていることを付け加えて、乱馬の顔を覗き込む。
覗き込まれた乱馬は、高校時代から変わらないあかねのその表情に思わずドキドキしつつ、お…おぅ。と消え入りそうな声でうなずいていた。





「あらあら、あかねちゃん、乱馬。おかえりなさい」

ひとまず家族への報告は乱馬がする、という約束を交わした2人は、そろって天道家の玄関を開けた。
そこにかけつけたのは、乱馬の母、のどかである。

「あ…おばさまっ!わざわざすみません」
「おふくろー…なんか飯、残ってる?」

天道家の家事一切を取り仕切っていた長女かすみは、2年前に結婚して家を出た。
もちろん、相手は近所で評判の名医、東風先生だ。
いまでは「ほねつぎさんの若奥様」として患者に大人気である。

「いいのよ。あかねちゃん。お仕事大変だったでしょう?さ、2人とも夜ご飯食べちゃいなさい」

そんなかすみに変わって天道家の家事を取り仕切ることになったのは、乱馬の母、のどかである。
一旦は早乙女一家が天道家を出て行く話もあったのだが、天道家の主である早雲が半ば無理やり止めて、結局居座ることになってしまったのだ。
今では、まるで本物の家族のようである。

「おお。あかね、乱馬くん、おかえりー」
「あかねくん、残業ごくろうさまだね〜。乱馬よ、きちんとあかねくんを痴漢の魔の手から守ってやったのか?」

いつもと変わらない居間に入ると、相変わらず両家の父親はのんびりと風呂上りの将棋をうっている。
この2人、再会してから7年経ったというのに一行に変化がない。
相変わらず、2人で楽しく気ままに暮らしている。
まぁ、昼間は天道道場で門下生相手に稽古をつけているようだが。

「あーっ!腹減ったぁ〜…。あかねっ。さっさと飯食おうぜーっ」
「ほんとねーっ。残業したらお腹空いちゃった!あ、おばさま、あたし手伝いますっ」

のどかがキッチンからお皿を持ってきている姿を見て、あかねは慌ててキッチンへと向かう。
と、そこに…天道家次女のなびきが居間に顔を出す。

「あれ?なびき帰っていたのかい?」

なびきは、大学を卒業した去年の春、それまで溜め込んでいたお金で一人暮らしをはじめた。
今ではバリバリのキャリアウーマンとなっている。

「うん。久しぶりに帰ってこようかと思って。そしたら道で乱馬くんたち見かけたから、後ろをついてきたのよ」
「…っ?!」

なびきのこのセリフに、乱馬は思わず手に持ったお箸を落としそうになる。
…ついてきた?後ろからついてきていた?
一体、どこから??

「乱馬くんたちに声かけようとしたんだけど…なんだかとっても深刻そうなお話してたからー」

そこでなびきは声を潜めて乱馬に耳打ちする。

「5000円でどう?破格の値段よ?」
「なっ…なんのことでいっ」
「あらあら。乱馬くんとあかねの将来のお話じゃない」
「っ?!てんめぇ〜っっ!オレよりはるかに稼いでんじゃねーのかよっ?!」
「あらあら。それとコレとは別問題よ?まぁ、私からばらしてあげてもいいんだけど?お父さんたちに」
「〜っっっ!!!あっ…足元見やがって」
「こっちも一人暮らしで色々と物入りなのよねー」
「…っ」

しぶしぶ、乱馬は財布から五千年札を取り出してなびきにこっそりと渡す。

「まいどあり〜っ」

高校時代から幾度となく繰り返されたこの手に、またしても引っかかってしまった男、早乙女乱馬。
それにしても、なぜこうもなびきはいつもタイミングよく現れるのだろうか。

「え?乱馬くん、あかねと深刻な話でもしてたのかい?」
「え???いやっ!!そーじゃなくって…っっ!!」
「もしや乱馬よ、この期に及んであかねくんと別れるとか言い出すんじゃ…」
「んなんじゃねーよっ!!」
「むしろ逆よね〜。乱馬くんっ」

赤い顔をしつつ反論していた乱馬に、なびきが笑顔で一言付け足す。
その言葉に、早雲と玄馬は顔を見合わせて手を取り合う。

「逆?!逆という事は…もしかして早乙女くん!!」
「もしかして、もしかすると天道くん?!」

なびきのやろぉぉぉ〜っっっ!!

乱馬のそんな心の叫びはむなしく、両家の父親のボルテージは一気に上がっていく。

「祝言だーっっっ!!」
「祝いじゃ祝いじゃーっっ!!」
「ちょっ…ちょっと待ってくれよっっ!!」

そのまま紙吹雪でもまきそうな両家の父親の間に乱馬は大きく割り込む。
そして、そのまま真剣な顔で2人を交互に見る。

「おじさん!おやじ!ちょっと落ち着いてくれよっ!」
「…え?違うのかい?乱馬くん」
「なんだ、今回も違うのか、乱馬よ」
「じゃなくって…」

そこで、あかねがキッチンからお盆をもってやってくる。
そのあかねの姿には気づかない乱馬は、そこで一呼吸置いてはっきりと口に出す。

「おじさん、おやじ。オレとあかねは結婚したいと思ってる。その了承を、ください」

そういうと、乱馬は2人の父親に向かって、頭を下げる。
その姿に、2人は思わず目を見開く。

「それと…結婚式はオレらに任せてほしいんです。あかねの好きなように、させてやってもらえませんか?」
「ら…乱馬…」
「げっ…あ…かねっ…」

まさかこんなにはっきりと乱馬が言ってくれるとおもわなかったあかねは、思わずその場に座り込んでしまう。
感動のあまり、思わず足の力が抜けたのだ。
一方乱馬は、まさかこのセリフを当の本人に聞かれているとは思わず…慌てて否定しようと首を振る…が。

「…乱馬くん」
「…あかねくん」

そんな乱馬とあかねを見ていた両家の父親は、それぞれ義理の息子、娘となる2人の前に座って、頭を下げる。

「うちのあかねを、よろしく頼むよ」
「うちのバカ息子を、よろしく頼むね」

改まって頭を下げるそれぞれの父親に、乱馬とあかねは思わず当惑してしまう。
まさか、こんなにきちんと言われると思っていなかったのだから。

「おっ…おじさんっ!!やめてくださいよっ!!」
「おじさまもっ!!そんな頭とか下げられてもっ!!」
「ま、コレも一つの儀式だと思いなさいよ。二人とも」

相手の親に頭を下げられて困り果てていた乱馬とあかねに、なびきは横から言葉を投げかける。
その後ろから、のどかがお茶を持ってやってくる。

「あらあら。どうしたのかしら、みんな。あかねちゃん、乱馬。お茶をどうぞ」
「のどか!お前も頭を下げぃっ!あかねくんがやっと乱馬と結婚すると決めてくれたのだ」
「あらっ!あらあらっ!あかねちゃん、決心してくれたの?!まぁまぁ。それじゃ、これからもより一層お願いね」

テーブルの上にお茶を置いていたのどかは、玄馬その言葉に嬉しそうに顔を輝かせる。

「あっ…こちらこそ、よろしくお願いします…」

のどかのその言葉に、あかねも思わず頭を下げる。
気づけば、天道家居間にいるほとんどの人間が頭を下げ合う…という奇妙な光景が広がっていた。

その様子を部屋の端で見ていたなびきは、一人小さくつぶやく。

「…ホント、結婚って大変なのねー」




その後。

「おいっ!なびき、さっきの五千円返せよっ!」
「何言ってるのよ?アレはアレじゃない」
「てめぇ…。あの後結局ばらしやがったじゃねーかっ!」
「何言ってるのよ?私はただ「逆よね〜」って言っただけよ?」
「…てんめぇーっっ!!」
「あらあら。いいの?私はあなたのお義姉さんになるのよー?」
「…っっっ!!!ちっくしょーっ!!」
「おほほほほ。かわいい義弟ができて、私もうれしいわー」

食後、それぞれが日常に戻った後、居間の片隅では義姉になる者と義弟になる者の因縁の言い合いが繰り広げられていた。

そして…結局五千円が乱馬の手元に帰ってくることはなかったのである。








お題その2はいわゆる「お嬢さんを僕に下さい」というヤツです。はい。
世間の男の人は、結婚への道のりでたぶんココが一番緊張するのでしょう。
でも、乱あはすでに両家のお父さんの了解済みなので…どうしようか散々悩んだ末、こういう形になりました(笑)
ちょっとなびき姐さんの力、借りちゃいました。。。
おかしいなー。ほんとはもっとちゃんと乱馬くんが用意周到に準備しているはずだったのに…。
ま、所詮私の書く乱馬くんは基本へタレですから(笑)

というか、設定が未来なので、細かな説明をところどころ入れていく為どうしても長くなってしまいますなー…(涙)

(05/10/14  作成)





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